「ワンダー 君は太陽」を見て

ネタバレ部分あります。ご注意を。まあ、2年も前の映画にネタバレもクソもあったもんじゃないけど。

ヘルメットとることは1つのクライマックスという予想は序盤に裏切られる。

いきなりとるんかい!(笑)

一番言いたかったのは、主人公オギーが最後の一人語りで言った一言「よく見ること」なんだなと思う。

外見にも偏見にも左右されず、心の眼で見ること。

一番言いたいそのことをいうために、オギーという触媒を通じ、ライド出来そうな登場人物のそれぞれのオムニバスを2時間の映画内に収める。

だからオギーは太陽なんですね。

自らも輝き、周りにも日光という栄養を与える。( ‘༥’ )ŧ‹”ŧ‹”

心の眼でみれば、オギーに愛着が湧くはずなんですよね。だってあいつ(オギー)、性格はファンキーで面白いやつじゃん!(笑)

ここで自分を振り返る。果たして自分は学生時代にオギーのようないわゆる弱者に(実際弱くはないが)普通に接せられただろうか。今はできる。でも昔は無理だ。というか実際経験し、無理だった。手を差し伸べられなかった。

そういった引け目がある人間はジャックにライドするだろう。自分の出来なかった願望も込めて。

大人になって過去を振り返る時、いじめられた人はもちろんだが、いじめた人や周りで見るしかできなかった人が傷ついている場合がある。

この作品は、そういったトラウマとはいかないまでも、子供時代の後悔に苦しんでいる人たち(観客)を救済するための作品でした。

ただ1つ残念だったのが、それらの人物は全員いいひと、というかオギーを愛している人なので、オギーに愛着の湧かない観客はライドできない。

オギーに愛着の湧かない人=外見や偏見に左右され、心の眼で見れない人。

逆に言うと本当に伝えるべきバイアスに満ちた人に伝わらない可能性のある構造になっているんじゃないかなと。

つまり、いじめっ子ジュリアンのオムニバスもするべきだったのではないかってのが言いたいです。彼が最後に校長に謝るまでは、葛藤や逡巡があったに違いない。あの謝罪が本心であったならば。

というか本心でないとおかしい構造になってます。「救済」という目的を達成するためには。そうでないなら、ジュリアンが親からの圧力を受けていたんだろうなと思えるシーンを入れずに、ただ落ちぶれていくのを見せると思うから。

まあ、2時間に収めるために、ライドしやすく間口が広い(世間で絶対数が多い)4人のタイプのオムニバスに振り切ったのかもしれないけど。

だから親のオムニバスがないですよね。子供のオムニバスだけなので、ライドする範囲が広いです。みんな「子供」経験しているから。

あの親の状況は特殊ですからね。いい夫妻だけど。

最後に、SNSの時代において、「よく見ること」の難易度は上がっていると思ってました。ネット上は偏見や憎しみが満ちている。

でも、オギーとジャックがマインクラフトのチャットで仲直りしたのを見て、

そうじゃないんだ、SNSも使い方しだい、結局は個人の裁量、心の眼で見る力を意識して育てればいいんだな。

なんて思いました。

社会的な目的を持ったいい映画でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました