こんにちは。ジョブス丸です。
導入はPerfume寸劇、本論はまとめ的なやつからになります。
Perfume3人の寸劇はフィクションです。広島弁が間違っていても、ご容赦ください。
以下 あ:あ~ちゃん か:かしゆか の:のっち
とあるMV撮影の休憩中、弁当を食べる3人、、、
の 「うまい!!」
あ・か 「ビクっ!?」
の 「、、、うまい!!」
か 「びっくりしたあ!」
あ 「え、、、なんなん、、、?(ドン引き)」
の 「、、、うまい!!」
か 「もしかして、「鬼滅の刃」ご覧になりました?」
の 「(コクッ)」
あ 「影響受け過ぎじゃろ!びっくりしたわw」
の 「わたしは、、、」
か 「えっ?」
の 「わたしはわたしの責務をまっとうしゅる!」
あ 「いや、噛んでるやん」
か 「どんな責務を全うするん?」
の 「、、、ダンス」
あ 「今までと同じですけどw」
の 「、、、らいぶ」
か 「それはそうじゃろw」
の 「、、、」
あ・か 「(これは思いつかんな)」
の 「、、、、、、」
の 「、、、、、、、、、ゲーム(小声)」
あ 「おいー!ただの趣味じゃろ!」
~Fin~
まとめ的なやつ
(こっから本論デース)
皆様大好き鬼滅の刃、私も観てきました。映画の描写で気になったのが無意識に侵入するところです。ここはうまくフロイトの精神分析学を表してましたね。
そもそも、既に市民権を得ている無意識という概念ですが、この無意識を発見したのはジークムント・フロイトというオーストリアの精神科医です。
このフロイトが心を3つの階層から成るという理論にたどり着きました。それが「意識」「前意識」「無意識」です。
それに加えて構造論である「自我」「超自我」「エス」という新たな概念をも生み出しました。詳しくはWikipediaとか見てくださいw
鬼滅の刃では、夢は「無意識」であり、魂がある場所は「エス」であるような表現でした。そして炭治郎の「エス」に出てきた可愛らしいキャラは「超自我」の象徴のように見えます。
まさにフロイトの理論を作品世界に落とし込んだ場面でした。
そういえば、のっちがananかテレビブロスで推していた『id:INVADED イド:インヴェイデッド』というアニメも、まさにフロイトの精神分析学をモチーフにした非常に面白い作品でした。ちなみに「エス(es)」の別名が 「イド(id)」です。
さて、こういった世の中にブームを巻き起こした作品は、その紙背に世情を反映したものがシンクロニシティを起こしていることがままあります。
今回に関しては、この「みんなの無意識に存在し、作品によって呼び起こされる」という共鳴が起こったことがそれに当たるのではないでしょうか。
具体的には、
「鬼」=「コロナ」
「起きろ!攻撃されている」→「コロナやそれによる不和による人類への攻撃」
「責務を全うする」→「医療関係者の思いなど」
「誰も死なせない」→「身近な大切な人をコロナから守りたい想い」
といったことが言えるんじゃないかなあと思いました。あくまで例えですが。
ブームの作品ではこういった偶然が現実とシンクロしてしまう事がありますね。
炭治郎の「エス」ですが、非常に美しい世界でした。そして前述した煉獄さんの言葉には、みんなの無意識にある「人へのやさしさ」ともいうべき想いの共鳴があります。
ここからは持論なんですが、人は「本能→意識」では自らの生存を第一に考えるので、今のコロナ禍では「本能→意識→敵意」になりSNS上での誹謗中傷などに結びつきます。しかし、人には「無意識」内に先祖から集積されている遺伝子情報、つまり人類の存続・繁栄という目的があります。これを実現させるために必要なのが「人へのやさしさ」ではないでしょうか。
つまり、「本能→意識→敵意」ではなく、「エス→無意識→やさしさ」というルートを映画によって呼び起こされたので、皆が感動し熱狂したのではないか。
第二弾の予告映像で煉獄さんが言っていた言葉が心に染みます。
「老いることも、死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ、死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ。」
さて、私たちは映画によって取り戻すことが出来た想いですが、人間は忘れる生き物です。どうしたら、今後も想いを忘れず繋げていくことが出来るでしょうか。
個人的に試してうまくいった手法がいくつかあります。例を挙げると瞑想や美術鑑賞です。この2つは、行うと自分の内面に考えが向くので無意識から浮き上がってきた想いを意識で掴み取ることができます。
それ以外でも自宅で無音の中過ごしているときにも、同じことが出来ました。全て「音(雑音)を消す」ような行為です。
つまりこれらの共通点は「音(雑音)を消す」=「インプットを止める」とも言い換えることができます。テレビやネットからの情報の波を遮断しインプットを止め、自らの無意識の想いに耳を傾けることが出来れば、私たちは決して忘れはしないでしょう。
是非試してみてください。
蛇足ですが、のっちは昔から直感(直観)的であり、その鋭さはファンであれば知るところです。そんなのっちが精神分析学を題材にした作品に目をつけたということは、今後のPerfumeの活動において、無意識の分野のテクノロジー等を題材にしたものを創り始めるかもしれませんね。
ではでは。
~おわり~
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